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【Feint - Vagrant (ft.Veela)】▼前回の手術はこちら↓
┗『
狭窄性腱鞘炎(ドケルバン病)の手術!★再再更新編★』
~前回の【狭窄性腱鞘炎(ドケルバン)手術】から2ヶ月過ぎても指の突っ張りや神経痛が治らず、癒着のせいで関節も曲がらないため、彼女と相談して有名な院長がいる手の外科の病院へ一緒に行くことになった。
辛い症状を毎日我慢し続け、藁にもすがる思いでその病院へ。今回初めて病院名を晒すが、私が診察と手術と入院したのは【八王子の高月町にある手の外科専門の病院】です↓
┣『
医療法人社団八九十会 東京手の外科・スポーツ医学研究所病院』
┗『
医療法人社団八九十会 高月整形外科病院』
▼私を手術して下さった山口利仁院長。(※現在では名誉理事長なんですね)

この手の外科に来るまでの約2ヶ月は本当に辛かった。神経痛は凄まじく酷く、常にビリビリ電流が流れる。
前回の腱鞘炎手術の失敗に加え、傷口部分が皮膚の下の腱と癒着してしまい、手首は曲がらないうえ、手首を曲げたままでは指の関節さえ曲がらない。

暇があれば「せんねん灸」をいっぺんに15個とかやっていて、毎日、どうやってこの神経痛と付き合うかを考えながら、どの病院なら、どの先生なら治せるのだろうと悩み続けていた。
深く考えた結果、普通の総合病院で手術してこんなになったのだから、今度は専門の「手の外科」を片っ端から当たって行こうと。

そしてまずは、1番初めに挙げた病院へ。
車で行ける範囲で「手の外科」を扱う病院を調べ、主治医や予約、診察日などを順に見比べ、その中で1番に挙げたのがこの病院だった。
さっそく、その院長の診察日に彼女と一緒に行くことになったのだが、有名な院長先生の診察日だけあって、朝から駐車場は一杯で激混み!!
~有名な院長先生の診察を受ける為に廊下まで患者さんが行列で並び、その光景に驚きながら彼女と一緒に診察待ち。
初診のため院長先生の診察予約は入れておらず、初めは診察室で症状と現在までの経過を若い看護婦さんに話し、しばらく廊下で待つように言われました。
あらためて呼ばれ、おそるおそる診察室に入ると…そこには、噂のスーパードクターが威風堂々と待ち構えておりました。

なんという威圧感漂うオーラだろうか。ここまで圧倒的なオーラが漂う人にあったのは、ワールドメイトの深見先生以来だ。きっと、すばらしい守護霊様や先祖霊団が守護しているのだと直感した。
その噂のスーパードクターは、私の右手首の酷い手術跡と状態を診た後に、こう言った!
院長『とんでもない病院で手術したなぁ。なんで初めに来ない!?神経切られてるよ。1番太い神経を切られなかっただけ運がいい! …腱鞘炎でこんな手術をする医者は同業者として許せんな!』

(※橈骨神経は手の神経の中で最も重要かつ大切な神経であり、これが傷つけられたり切られたりするとかなりの支障をきたす。私は手首に走る橈骨神経浅枝の一部を切られてしまっていた)
WIN&彼女『(;▼Щ▼)(おぅ)・・・・・(落ち込む)』
~院長先生が診ていた診察室は広く、患者さん数人をまとめて入れていたのだか、これは、、一人一人呼んでいたのでは診きれないほど、院長先生を頼って来る患者さんが廊下で列をなして待っているからである。
それなのに、他の患者さんもいる場所でなぜか怒られて2人で無言に。ここでダメなら、慶応義塾大学病院の[手の外科]外来と、東松山にある[腱鞘炎専門のスーパードクター]がいる病院に紹介状を書いてもらう覚悟であった。
後ろで消毒してる患者さんや看護婦などが、私たちを哀れみの目で見ている。手首の側面と背面に8針ずつの大きなミミズが這っていれば無理もない。

『(初めにココに来られる人って運が良い人だけだろうな)』~なんて思ったが…
院長『記念写真撮っておこう!』
スーパードクターは机からデジカメを出して、撮る撮る撮る!!(苦笑)
まるで大工の棟梁のように言い方が悪いスーパードクターだが、その技術に裏づけされた圧倒的な自信や話し方から、まるでライオンに睨まれた兎のように固まってしまう。
WIN&彼女『(この先生は凄すぎる)@@;;…』
この院長、凄い威圧感というか、並外れたオーラを持っていて、とにかく怖くて凄かった。。

いろいろと話して下さったが、圧倒されて言葉が出ない。患者でさえそう感じるのだから、勤務している関係者は大変だろう…@@;
また、スーパードクターの診察時には、看護婦や他の先生、助手なども勢ぞろいして患者を診るため、なんだか凄い光景を見れる。
院長『癒着と拘縮が酷いから~3週間リハビリをしてみて!!』
~すぐさまリハビリの責任者の先生が呼ばれ、スーパードクターの指示でリハビリ予定が組まれた。しかし、数回のリハビリをしてもドケルバンの痛みが出る。
前の病院で手術をして治ってるはず?なのに、ドケルバンの痛みに加えて、癒着や拘縮、神経痛が酷い。急遽、リハビリを中断してスーパードクターと話した結果、
『右手関節拘縮と橈骨神経知覚板癒着に対し、拘縮・癒着の除去手術』っを行うと決断された。

後日、手術前の検査をした後に手術の日程予定の説明があったのだが、前回のように~日帰り&局所麻酔での手術かと思いきや…
看護婦『1週間の入院、全身麻酔での手術になります!』
WIN『えっ!?? @@;;』

看護婦『手術日は8月11日。前日から入院となります!』

WIN『(おう)…@o@;;』

WIN『また入院かよっ!!』…orz
3ヶ月前に網膜剥離の手術で1週間も入院していたのに、今度は右手の再手術で入院、しかも全身麻酔とは…はぁ(溜息)
そして、8月10日の午後13時、たくさんの荷物と共に入院した。
建物は古臭く、4人部屋の窓際。すごく蒸し暑い。トイレの個室は狭く、夜中の0時からは飲食禁止だと言われた。
手術当日は朝から点滴、手術予定時間は午前11時30分。午前中、麻酔医の先生がベッドへ来て、少し話をした。

さすがに短期間で網膜剥離と腱鞘炎の手術を体経験した為に緊張は無かったが、前の人の手術が長引いているそうで予定時間になっても呼ばれず、お呼びがかかったのはお昼過ぎ、12時15分頃であった。
昨日から手首の心配より、全身麻酔のことが心配だった。首の後遺症のこともあるし、もしそのままあの世に行ってしまったら…
朝からしていた点滴の2本目をぶら下げながら、看護婦さんと2階の突き当たりにある手術室へ向かう。
看護婦『怖くないですかぁ~?』
WIN『いえ~、5月から3回目の手術なので全然平気です!』
看護婦『(@o@;)あら、まあ!!』
手術室に入ると、、隣の手術台で手術している人が一瞬見えたが、すぐさま、カーテンを閉められた。

スーパードクターはまだ隣の人の手術をしていたので、院長先生が来ないうちから手術台に乗せられ、右手の写真撮影を済ます。

自分の周りには助手が3人、麻酔医が1人。撮影が終わってから、いよいよ【人生初の全身麻酔】に入る。
薬によって呼吸も意識も無くされることを考えると少し怖くなる。正確には、手術が怖いのでなく、全身麻酔が心配なだけである。
▼━━【全身麻酔 - Wikipedia より抜粋】━━━━━━━━━━▼
麻酔方法の一つ。中枢神経に薬物を作用させ、無痛、意識の喪失・健忘、筋弛緩、有害反射の予防の4つを満たす状態にすることで患者の肉体的・精神的苦痛を取り除く。
局所麻酔との大きな違いは意識消失の有無である。全身麻酔下では患者は苦痛を訴えることができないので、麻酔科医が注意深くモニターする必要がある。
全身麻酔の大きな魅力はあらゆる部位の手術に用いることができることである。
また、麻酔の目的として鎮静(意識消失)、筋弛緩、鎮痛、有害な副交感神経反射の抑制があげられるが、全身麻酔は基本的にはこれらの条件を全て満たす。
筋弛緩薬を使用すると全身の筋肉が麻痺して呼吸も止まるので、人工呼吸しながら口の中へ管(気管内挿管チューブ)をいれ、喉の奥の気管(きかん)の中まで入れる。
後は、この管を通して人工呼吸を行い、同時に麻酔薬(麻酔ガス、吸入麻酔薬)を吸ってもらう。なので、全身麻酔中はずっとガスを吸っているので途中で覚めることはない。
手術中は人工呼吸を続け(通常は麻酔器についた人工呼吸器が行う)、患者の血圧、心拍数、体温を調節する。麻酔量は患者の年齢、性別、体重、その他の条件によって異なる。
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【Skillet - Back From The Dead [Official Audio] 】 そして、人生初の全身麻酔の時はきた!!
寝ながら頭を起こし、麻酔医が後ろに立つ。麻酔医の先生が太ももで私の後頭部を支えている。
麻酔医『では、肩か腕にビリってきたら言って下さいね~』
肩(僧帽筋)から太い針が深く入っていく。痛みはない。少しして、ビクッ!!!~と右腕が飛び跳ねた!!
WIN『うおっ!!!』
麻酔医『では、麻酔入れていきますよ~』

痛みは全然ない。
麻酔医『腕の点滴からも全身麻酔入れまぁ~す』
麻酔医『まもなく眠くなりますよ~♪』
WIN『三途の川を見て来ます!』
麻酔医『ハハハハハ(笑)』
私は左腕に入っている点滴の袋をじっと見つめた。

次の瞬間、グルン!!!
次の瞬間!!~点滴が見えている視界が回った途端、私は意識を無くして深い深い闇の底へと落ちていった…。
…いや、「落ちた」という認識さえ無かった。
…
……
看護婦『分かりますか~?』
………
看護婦『●●さん、分かりますか~?』
……ハッ!!
次の瞬間、自分のベッドに寝ていることに気づく!
看護婦『●●さん、分かりますか~?点滴しますからね~』
うっ!! ~なぜか、意識が戻った瞬間から呼吸が超絶苦しい(;▼Щ▼)
~このままじゃ窒息死してしまう恐怖が襲いかかる。まだ全身麻酔の効果が残っていて内臓の働きが悪いのだろう。
WIN『く、る、し、い、よ~ハァハァハァ@@;;』

!!っというか声が出ないではないか!!
初体験の全身麻酔後だけあって、これは衝撃的だった。麻酔のせいで右腕は肩から指の先まで感覚は一切ないが、なんとか体は動かせるし、意識もハッキリしてきた。
~でも、声が出ない。本当に精一杯、力を込めないと声が出せない。
なんとか出せても、か細い嗄れたような声しか出ない。呼吸は苦しいわ、声は出ないわで、なんだか死んで行く気分のようだ。
WIN『く、る、し、い、よ~ハァハァハァ@@;;』
時計をチラッと見たら、確か13時30分だった。約1時間の手術か…早かったなぁ。

酸素マスクのせいもあって余計に呼吸が苦しい。右腕に感覚が無く、ぜんぜん動かせない。
『(腕ってこんなに重たいっけな~)』~と思いながら、左手で右腕を持ち上げながら寝返りをうった。
その間もずっと呼吸が苦しい。酸素マスクを少しズラしても呼吸が苦しい。
WIN『く、る、し、い、よ~ハァハァハァ@@;;』
でも、記録のために必死で携帯のカメラで撮った。
WIN『ハァハァハァ@@;;~ハァハァハァ@@;;』

呼吸のしずらさに悶え苦しみながら酸素マスクを3時間つけ、ようやく16時30分ごろに少し楽になってベッドから起きれた。
しかし呼吸はまだ苦しく、腕の感覚もほとんどない。
看護婦『●●さん、まだ寝てないと駄目ですよ~』
WIN『く、る、し、い、よ~ハァハァハァ@@;;』
WIN『ハァハァハァ@@;;~ハァハァハァ@@;;』
夕飯の時間である18時頃になって、ようやく楽になってきた。目が覚めた13時30分からの時間は呼吸困難はまさに地獄。~生涯でもっとも辛く、苦しい時間帯であった。
体が大きいから麻酔量が多かったのだと思うが、もう二度と全身麻酔は勘弁だ。あの苦しさは例えるものがない。
~超絶苦しい状態が4時間30分あまり。なんで局所麻酔じゃなかったのだろうか?スーパードクターから見て、手術が長引きそうなほど悪い状態だったのかな?
夜になっても傷口の痛みはほとんど出なかった。点滴が効いていたのか、痛み止めが効いていたのか分からない。
そしてこの夜から、長く、暑い入院生活が本当に始まった。
◆
【Skillet - Monster (Official Video)】 小さい病院だから、網膜剥離で入院した時の杏林のように散歩する場所も、病院内のコンビニももちろん無い。トイレは小さく狭く、病院の建物や設備が古く感じる。
また、夜中に外の景色が見える階段の場所に行っても、見えるのは真っ暗な田舎の風景、遠くに民家や団地の明かり、たまに通る車の音だけが寂しげに鳴り響いている。
~夜中、真っ暗で誰もいない1階に降りてみれば、シーン…
診察室がある向こう側へはカーテンで閉められている。
WIN『こんな寂しい病院じゃあ、幽霊も出て行きたくなるよな…@@;;』
~網膜剥離で入院した杏林大学病院での恵まれた入院生活を知っているからか、入院予定の1週間が凄まじく長い時間に思えてくる。
毎日長時間の点滴(抗生物質と止血剤の点滴で約3時間半)、食後の薬(痛み止め)、検診、検温、薄味で口に合わないメニューの食事、凄まじく蒸し暑い部屋。
~杏林大学病院がVIP待遇に感じたよホントに。@@;;;

WIN『つまらない…つまらなすぎる…発狂しそうだ@@;;~これもまた試練か…』
しかし、世間ではお盆休みに夏休み、連日35℃を超す猛暑ときてる。この状況が恵まれているのか、よく分からなくなった。
~手術後、右手が使えないのは前回の手術後と同じだけども、指を動かしてもほとんど痛みが出なく、腫れも全然少ないのは幸いだった。
前の病院での術後の痛みレベルを表すと、【最大レベルの10】そのせいで3週間もまともに動かせなかった。
しかし、今回の手の外科での術後の痛みレベルを表すと【最小レベルの1】~病院によってこうも差があるとは、とても驚きだった。
~病室は4人部屋だったが、この入院病棟で目にする患者さんは凄まじい怪我の人ばかり。多かったのが腱の断裂や、指や手の平の切断直前とか。そして、次から次へと手術予定の人が入院して来る。
私が入院した日、私を除いた3人すべてがいっぺんに退院。『一人で寂しいな…』~なんて思って手術に行って帰って来たら、既に3人が入院して来ててベッドが全て埋まっていたのには笑った!!(笑)

私が入院した日、退院した向かいのベッドにいた人は腱の怪我。私が手術から生還した時、向かいのベッドに入った人は腱の再断裂。
対角線上の向こうの人は、鉄板の雨戸が指を潰し、腱の断裂に加え、人差し指の先が千切れてブラ下がっていたと言い、腕から骨を取って指に入れたとか話していた。
~そして、横のベッドに入った人が最も症状が重く、舗装関係の仕事をしているそうなんだけど、仕事中、何かを操作しててレバーを引いたら上から車が落ちて来て、右手がグチャとなったそう!!!(イテー!!!@@;;)
車は1tくらいあったそうだが、危機一髪で体の上へ落下せずに済んだという。すぐに東京の女子医大で応急処置のあと、こちらの手の外科専門病院へ入院して来た~と話してくれた。
自分の怪我が軽いように思えてくるから不思議である。
手術後の状態は、手の甲が麻痺ってる感覚はあったが、神経痛や指の突っ張りは不思議と消えてた。
WIN『やっぱり、スーパードクターはすげえ…』

しかし、手術した夜の総回診で恐怖が待っていた!
院長が私の顔をジーーーーーーと凝視する。15秒も睨めっこしただろうか?~何を言われるかと思ったら…
院長『お灸の跡が酷すぎるよ!~手術するのに、お灸でグジュグジュにしてくるなんて考えられん!』
『神経痛が酷くて…』なんて言い返せる雰囲気でないことは、下にある文章の通りであるからして、やっと口から出た言葉は…、、
WIN『…すいません(;▼Щ▼)(それ、手術前に言ってくれよブツブツ…)』
~院長『手術中止にしようかと思ったけど、全身麻酔かかっちゃって寝たあとだからやったけど…もしかしたら、お灸の跡からバイ菌感染するかもしれない。』
院長『なんか、悪いほう悪いほうへと行くよね?もっと、ちゃんと良く調べたほうがいいよ』
それ以上、院長先生は口を開かずに隣の人の回診に移った。

私が見て来た感じ、ワンマン体勢と言ってしまえば誠に失礼だけど、ここでは院長先生が絶対的かつ圧倒的な権力を握る神のごとき存在になっている。
勤務している別の先生や看護婦、事務員やリハビリ医など誰一人、院長先生と笑いながら話をしたり、質問しているのさえ見たことがなかった。
~まるで、『はい』っとしか言ってはいけない規則でもあるかのようだ。患者でさえ怖くて、質問することができない雰囲気を醸し出している。
同室の方々も皆同じ感想を抱いていて、話が盛り上がったのは内緒である!
~入院時の総回診でも、院長先生の周りにいる関係者、患者、誰一人として口を開かずに、皆が緊張した顔をしている。あんな光景は他の病院や大学病院では見ることはたぶん無いと思う。
大学病院なんかではチームを組み、チームで情報を共有、検討して、その患者に最適な治療と処置が取られているが、もちろん、
そのチームのトップに位置するのは、教授と呼ばれる先生だ。
~私も交通事故や蕁麻疹、網膜剥離、様々な怪我や病気を経験してたくさんの先生と話して来たが、こんな凄い先生は見たことがない。
雰囲気、喋り方からして、権力を思うがままにしていて、まるで、TVで見た白い巨塔というドラマを目の前で展開されてる感じ。
治してくれた主治医の悪口を言うつもりはないけど、患者を徹底的にけなす先生も珍しい。…いや、いないだろ…。
◆
【Thousand Foot Krutch - War Of Change (Sub Español)】 やはり、それだけ執刀した手術数、完治させた患者数が多いのだろう。医学界での評価も高く取材も多いらしい。なにしろ手の外科のトップの権威。
ネットで検索すれば、この院長の評価や記事が多く出て来る。数多くの難解な症例を片付けてきた自信も伺える。
WIN『やっぱり、スーパードクターは怖かったよ…orz』
~数日後の院長先生の回診。
院長『ガチガチに癒着してたの全部剥がしたから。神経が1本切られていたけど、もう大丈夫。そのうち治る!前の手術跡のケロイドも削っておいたから。今はホッチキスの針みたいので傷口塞いであるからね』

~院長先生、言い方は怖いけど全部やってくれていた!!
数日後の院長先生の診察と消毒。
WIN『先生、前の病院でやってもらった狭窄性腱鞘炎(ドケルバン病)の手術、きちんと治ってたんでしょうか??』
院長『治ってなかったからそれもやっておいたよ。 ほんと、何のために開けて手術したんだかねぇ(呆)』
WIN『(;▼Щ▼)!!はあ…、有難うございました…』
手術の間に撮った写真とともに詳しい説明もして下さった。



やっぱり、スーパードクターは凄かった!

しかし、前の病院で術後にあれだけ痛い思いしたのに、肝心の狭窄性腱鞘炎(ドケルバン病)は治っていなかったとは本当に驚いた。
なんのために手術したのだろう。ただの実験台にされたみただい。おまけに神経が1本切られていたとは、まさに医療ミスそのものではないか!!

時間とお金さえあったら医療訴訟ができそうなくらいの問題レベルである。あんなヤブ医者にかからず、初めにコチラに来ていればと後悔した。
現在、まだホッキスの針がある状態でリハビリを始めているが、状態はとても良い感じだ。糸もまだ縫ってあるのが見える。


完治を目指して、リハビリに励んでいこうと思います。

三峯神社の奥宮参拝が7月22日。手術が決まったのが26日。手術前検査が8月3日。手術が8月11日。8月17日に無事退院。(※私がメイトに入会したのは、平成7年11月17日)
そして、この記事を一番初めにUしたのは、奥宮参拝からちょうど1ヶ月後、登拝した日付と同じ22日。
11や17、や22など、縁がある数字が並ぶ。これも、三峯の神々様の御神徳のお陰だ。苦労して奥宮に参拝しただけのことはあった。
~口コミで患者が行列を作り、年間手術数は【2000件】を越え、手術の日は院長先生は朝から夜まで手術をしている。
ここの病院の院長先生は本当にスーパードクターだったが、ただし、半端な混み具合ではないので、あしからず…。。
~最後に、前の病院と比べて気づいた点を挙げてみた。
・手の外科専門だけあって、通っている方々からの評判がとても良い。
・術後の傷口の痛みがほとんどなく、早期からリハビリができることに驚いた。
・薬や注射でしばらく様子を見ようなどと消極的ではなく、 積極的に手術を視野に入れて早期に治すことを考えてくれる。
・院長先生はまさにスーパードクター、本当のゴッドハンド。
・他の病院で手に負えないレベルの患者さんでも完全に治している。
・院長先生(手の外科)の診察がある日は激混状態。
~初回からリハビリになって、やはり無理だろうか…と思っていたら、光明が差して救われた。それが奥宮登拝から4日後の26日の診察時。
ここまで全部やってもらったことに奇跡を感じている。本当に救われた。

ちなみに私の手術日である11日、私の手術は3番目だったのだが、当日でさえも10件ほどの手術予定が入っていて、院長先生は朝から夜まで手術を執刀していたのには驚いた。
凄まじい体力と集中力、責任感と使命感に本当に頭が下がる思いだ。この院長を見ていると、『絶対に患者を治してみせる!』~という執念さえ感じることができるが、近寄りがたい雰囲気も多々ある。
~手術が8月11日だったのだが、入院時の後半から指のリハビリを始め、退院して1回目の消毒で医療用ホッチキスの針を半分近く抜鈎、早くも手首の制限なしの許可が出て手首のリハビリを開始している。

そして、8月23日のリハビリ後の院長先生の診察において、医療用ホッチキス(ステープラー)の針を全て抜鈎(バッコウ)、側面に1針だけ縫ってあった糸も抜糸した。

2週間で早くも手術前よりか曲げ反らしの稼動域が広がってる感じで、手術の成果が良く出ているのか院長先生が喜んでくれたのが嬉しかった。
前の手術後と比べて凄まじい速さで完治に向かっている。
すぐに包帯も無くなってテープだけになり、水に濡らしても良くなって、やっとシャワー解禁になった!
~やはり、こちらのスーパードクターに手術してもらった後は狭窄性腱鞘炎(ドケルバン病)の症状はほぼ無くなり、若干~痛かった頃の名残があるだけ。
しかし、親指側の腱鞘が無くなったせいで、親指を開きながら何かに引っ掛けると~親指が脱臼しそうな感じになりとても怖い。
痛くてどうしようもなった狭窄性腱鞘炎(ドケルバン病)を治して頂いた代わりに、少しばかりのハンデを与えられたが、腱鞘炎の痛みと比べたらまだマシだ。
この問題は今後、親指の稼動域を制限するサポーターなどで気をつけていくしかない。
◆
【Skillet - Out of Hell (with Suicide Squad) (Fan Film) 】 ~現在の手術後の右手の状態はというと、、
前の病院で切られた橈骨神経の一部は、繋ぐことが不可能だった為、『切られた部分から先の神経を全て剥離して除去した』っと説明された。

その為、手術前まで神経痛が酷かった部分(手術痕周辺含)は、全て麻痺した(局所麻酔をされてるような)感じに落ち着いてる。(手術痕周辺から人差し指&中指の第二関節付近まで)

神経は1日1mm 再生していく(個人差あり)らしく)、いずれは神経が再生され、麻痺した感じも治るだろうと説明された。
しかしながら現在でも時どき、ピリピリした神経痛や鋭い電気が走るような痛い神経痛はちょくちょく起きる。指が突っ張るような感じは、2~3割ほど残っている感じだ。
前の病院で余計に悪くされて後遺症が残ったが、たぶん、このスーパードクター以外には治せなかったと今では思う。

腱鞘も無くなって、手首の上の伸筋支帯も無くなって、橈骨神経麻痺もあって、もう二度と元の右手には戻らないけど、スーパードクターには感謝しています。本当に有難うございました。

長い記事になってしまったが、病院の選び方や信頼できる医師の探し方でこうも差が出るという、悪い?見本なので、皆さんも病院選びは慎重になさってほしい。
現在、後遺症は少し残っていても、あの腱鞘炎の痛みから解放されたことは本当に嬉しいし、手術したことは後悔はしていない。
今なら何時間PCやっても腱鞘炎の痛みは無いし、神経痛が少し出るだけ。せんねん灸は今だにやってるけど、神経の再生の為にも役立つと信じてる。(せんねん灸は本当に良く効く。せんねん灸は本当にスゴイ!!)

あと、親指側の傷口は、また大きなミミズが走っている。
このせいで、スーパードクターからは、『ケロイド体質かもしれないな』~と言われた。
せっかく、先生に削ってもらったのにまたミミズが…。手首の背側は~その半分くらいの厚みのミミズだ。

このミミズのせいで、コンビニのレジやレストランでも、定員のチラッと見る視線が分かるから嫌でね。
一度、マックのドライブスルーでLセットを3人前注文した時、お姉ちゃんの視線が右手首に行き、『重いのでお気をつけください』と言われてしまったくらいだ…orz

きっと、事情を知らない人からは、手首を骨折して手術したんだと思われてるんだろう。
たかが【腱鞘炎】でこんなに大きな手術痕なんて、一度目に手術したヤブ医者のせいだ。まったく。だから、外に出ている時は必ずサポーターをしている。
それに、ヘタすると親指を脱臼してしまうリスクがあるから、サポーターで親指が少し固定されるからいい。
~今年だけで、網膜剥離のバックリング手術。腱鞘炎の手術2回。入院2回。今年に入って~1年の3分の1は病院通い、手術やリハビリで潰れたけど、ワールドメイトの会員ならば、【あく出し】や【業の抹消】と理解できるはずだ。
手術は本当に怖いし、手術後は大変だけど、苦しむことによって業が晴れるならいい。なにより、使い物にならなくなる直前までいった体の一部を治してもらったわけだし。
~手術を受けられずに、何年も病気や怪我で苦しんでいる人間は地球上にたくさんいるはずだし、それによって健康の有難さや、苦しんでいる人の気持ちが理解できるようにもなる。
運が悪いと捉えるか、運がイイと捉えるかは、他人の意見など関係ない。『すべては神試し』と自分自身が前向きに捉えられれば良いであろう。
現実を見る目が見えないのなら、心眼で物事の本質を見る。怪我や病気をしたら、同じく苦しんでいる人の気持ちを理解する。

私がこの腱鞘炎の手術をしたいと思った当時、さんざんネットで検索しても、この記事のように参考になるサイトはひとつも出てこなくて私自身も大変だった。
だから私のように、腱鞘炎手術失敗から再手術で治してもらった記事などは、このブログが唯一無二のはず。
すなわち、同じ症状で苦しむ方々へ、参考になる事柄を伝えることが、私に与えられた役割なのだろう~と今では思う。
━ 2019年1月25日 P.S 管理人WINより ━
現在ですが、スーパードクターに治して頂いた腱鞘炎自体の痛みはまったくありません!完璧に治して頂きました!本当に山口先生は凄かったです!!
ただ、一度目の腱鞘炎手術で切られた神経はやはり完全には治らず、現在でも手首を握られれば痺れますし、電気が走る神経痛もたまに出ます。
~でも、山口先生に手術して頂けなかったらこの神経痛はもっと酷かったですし、腱鞘炎自体の痛みはまったく無いので、PCは何時間やっても大丈夫です!
初めから山口先生の所へ行っていれば~神経を切られることもなかったのですが、それは後悔先に立たずですから仕方ありません。

◆前の病院で手術を失敗されてからの右手首の状態は以下
┗【腱鞘炎の痛み⇒最大レベル10】【神経痛⇒最大レベル10】
◆山口先生の手術後は以下↓
┗【腱鞘炎の痛み⇒まったく無いので0(ゼロ)】【神経痛⇒レベル1~2くらいかなぁ】
もう天と地くらい差があります!ホント、山口先生こそ、神様でした!
~この記事を読み、参考になったとコメントを下さった方々には、本当に心より感謝申し上げます、少しでもお力になれたとしたら、私自身も救われますし、とても光栄に思います。
同じ腱鞘炎で苦しむ方々が確実に完治するようにお祈りしております。
2019年1月25日 WIN